チキンラーメン開発秘話がすごい!開発者は誰!?どうやってできたの!?

偉人

こんにちは、まぁです。

今回はチキンラーメンの開発に注目したいと思います。

チキンラーメンが最初のインスタント麺の成功例であることは

かなり有名な話ではありますが、ご存じでしたか?

知ってはいても、ではどんな人がどんなふうに開発したかを知らない人も

いるのではないでしょうか?

私もそんな一人なので、調べてみることにしました。

ぜひ最後までご覧ください。

 

目次

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チキンラーメンの開発者は誰!?

 

チキンラーメンを開発したのは、

ご存知、日清食品創業者である、安藤百福(あんどうももふく)さんです。

https://www.tenpo.biz/tentsu/entry/2018/02/16/160000より引用

 

安藤百福さんプロフィール

 

生年月日:1910年3月5日

出身地: 台湾、嘉義庁樸仔脚

国籍:日本

没年:2007年1月5日(享年96)

 

安藤百福さんは、日本統治下の台湾で生まれています。

出生名は、呉百福(ゴー・ペクホク)というそうです。

戦後は中華民国籍となりますが、後に日本国籍を取得します。

 

 

安藤百福さんは、幼少時から数字に強い関心を持っていたようで、

早期に計算を習得したようです!!

小さい時から、経営者としての才能があったようですね!!

 

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凄すぎる!?チキンラーメンの開発秘話

 

初めは食品とは無縁だった!?

 

安藤百福さんは、初めから食品づくりに関与していたわけでも、

ご実家が飲食業をしていたわけでもなく、

最初は図書館の司書、その後繊維会社で成功を成し、実業者となっていたそうです。

戦争中は軍需工場の経営にも携わっていたそうですが、

台湾出身だったこともあり、三等国民であったため憲兵から拷問を受けたこともあるようです。

 

戦後

疎開先から戻ってきた際、戦後直後の土地価値は暴落していたため、

大阪中心部の土地の多くを買い取ったようです。

戦後の食糧難のなか、

 

「衣食住というが、食がなければ衣も住もあったものではない」

 

という思いを抱き、

1948年中交総社(後の日清食品)を設立しました。

 

戦後の食に対するこの思いが後の日清食品の企業理念

 

『食足世平(食足りて世は平らか)』

 

につながったのだそうです!

 

確かにそうですよね‥。

服も家も大事なのですが、食事にありつけないこと程つらいことはありません。

戦争という時代を、

日本人でないというだけで、さらにキツイ経験をされてきた安藤百福さん。

気づきがあっても行動に移せる余裕があるとは限りません。

その能力をその後存分に発揮していったようです!

 

チキンラーメンの開発へ!!

 

かなりの実業家だった安藤百福さんですが、

実はチキンラーメン開発の前に「脱税」や「背任罪」などで無一文になったのだそうです。

 

そんな安藤百福さんですが、かねてより考えていたインスタントラーメン開発に向かいます。

大阪府池田市の自宅に小屋を建て、

インスタントラーメン開発に取り組む日々を開始したのだそう…。

企業として取り組んだわけでもなく、失敗の日々だったのだとか💦

 

取り組み①:着味麵の開発

麵自体に味がついているのは、チキンラーメン独自のものですよね!

そして誰もがそのことを知ってる…かなりすごいことだ思います!!

 

小麦粉自体にスープを浸みこませる⇒製麺機でボロボロに

 

蒸した麵をスープに浸す⇒生地が粘ついて乾燥しない

 

と失敗を繰り返し、

 

じょうろを使用して生地にスープをかけ、自然乾燥の後、手でもみほぐすという方法を考案

 

したのだそうです。

 

ここまででも心がおれそうですが、まだインスタントラーメンには程遠いですよね💦

 

取り組み②:麺の長期保存、そしてすぐに食べられるような状態にすること

インスタントラーメンというからには、作ってすぐに食べるわけではないので、

長期の保存ができるようにする必要がありますよね!

 

そして、お湯を注いで数分で食べられるということは重要です!

 

その二つを満たす方法のヒントとなったのが、

 

『天ぷら』

 

だったようです。

 

麵を揚げることで、水分が出るのと同時に面に無数の穴が開くことになり、

熱湯を注いだ時には、その穴からお湯が吸収されていくということなのだそうですが‥。

 

 

 

 

 

 

 

https://www.nippon.com/ja/features/c00512/#:~:text=%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%92%E3%80%81%E3%81%8A%E6%B9%AF%E3%82%92%E6%B3%A8%E3%81%90,2%E5%88%86%E9%96%93%E3%80%81%E6%8F%9A%E3%81%92%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%80%82より引用

 

料理に心得のない人がこれを考え付いたのですから、相当すごいですよね!?

この方法は『瞬間油熱乾燥法』と名付けられ、特許も取得しています!

 

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チキンラーメンの販売、そして成功へ!!

 

チキンラーメンはまずアメリカから販売が先行して始まったそうです。

日本ではその後販売開始となりましたが、

うどん一玉6円、乾麺25円、という市場に

 

1個35円

 

という強気の価格設定で販売しました。

また、手形決済が主流の時に、現金決済を要求していたため、

問屋が最初は嫌がっていたようです。

 

ある時、小売店から問屋に注文が殺到したため、問屋も現金決済へ舵きりをし、

注文がどんどん入るようになっていったのだそうです。

 

その後、大阪に2万4000平方メートルの土地を購入して生産工場を作ったのだそうですが、

工場用地の代金をを1か月でまかなってしまうほど、チキンラーメンは売れに売れたのだそうです!!

 

広大な土地の代金を1か月分の売り上げでまかなってしまうとは…驚きですね!!

 

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さいごに

このように安藤百福さんは様々な経験と失敗、成功を積み重ね、

今なお愛されるチキンラーメンの開発に成功されました。

 

多くの方は食べたことがあるチキンラーメン…その後も大ヒット商品を開発していった

安藤百福さんには尊敬の念を抱かずにはいられませんね!!

 

今回は安藤百福さんについて調べてみました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

※アイキャッチ画像はhttps://weekly.ascii.jp/elem/000/001/850/1850561/より引用

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